2009年09月09日

2009年「文の京」の第九

2009年「文の京(ふみのみやこ)」の第九


平成21年12月16日(水)19:00開演(開場18:00)

文京シビックホール大ホール
東京メトロ・丸ノ内線/南北線「後楽園駅」徒歩1分
都営地下鉄・三田線/大江戸線「春日駅」徒歩1分
JR総武線「水道橋駅」徒歩10分

入場券1,000円(全自由席)

指揮:山田和樹 

ソリスト:山口由里子(ソプラノ) 桜庭章子(アルト) 布施雅也(テノール) 竹村 淳(バリトン)

管弦楽:SHOBIシンフォニーオーケストラ

合唱:「文の京」の第九合唱団

合唱指揮:仁階堂 孝

主催:「文の京」の第九実行委員会 

共催:文京区、財団法人文京アカデミー

後援:文京区合唱連盟、東京商工会議所文京支部、文京人懇談会、キングレコード(株)、東京ケーブルネットワーク(株)(予定)

協賛:(株)アイ・アンド・イー、講談社、サッポロ飲料(株)、(株)損害保険ジャパン、(株)芳林堂書店

協力:専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美

お問合せ:「文の京」第九実行委員会 
Tel:03−3814−2813


チケット:10月1日より発売開始


「文の京」の第九合唱団団員の募集は締め切りました。
「文の京」の第九合唱団

練習:8月31日(月)より毎週月曜日 午後7時15分〜9時

会場:バリオホール、他(文京区本郷4−15−9)

対象者:16歳以上の文京区内在住・在勤・在学者

定員:ソプラノ・アルト(各70名)、テノール・バス(各30名) 
    ※超えた場合は抽選になります

参加費:8000円(楽譜代別)

申し込み方法:往復はがきに「文の京」の第九合唱団希望と書いて
住所・氏名(ふりがな)年令・電話番号・希望パートを記載して下記迄お送り下さい

〆切:7月31日(金)

送り先:〒113−0033 東京都文京区本郷4−15−9
    「文の京」の第九実行委員会
posted by 「第九」管理人 at 18:57| 東京 ☁| Comment(52) | TrackBack(0) | 「文の京」の第九 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月02日

2008年「文の京」の第九演奏会

「文の京」の第九演奏会
(ふみのみやこ)

平成20年12月18日(木)19:00開演(開場18:00)

文京シビックホール大ホール

東京メトロ・丸ノ内線/南北線「後楽園駅」徒歩1分
都営地下鉄・三田線/大江戸線「春日駅」徒歩1分
JR総武線「水道橋駅」徒歩10分


入場券1,000円(全自由席)


るんるん指揮:横島勝人 

るんるんソリスト:山口由里子(ソプラノ)、桜庭章子(アルト)
     布施雅也(テノール)、竹村 淳(バリトン)


るんるん管弦楽:SHOBIシンフォニーオーケストラ

るんるん合唱:「文の京」の第九合唱団

るんるん合唱指揮:仁階堂 孝


主催:「文の京」の第九実行委員会 

共催:文京区、財団法人文京アカデミー

後援:文京区合唱連盟、東京商工会議所文京支部、文京人懇談会、キングレコード梶A東京ケーブルネットワーク

協賛:潟Aイ・アンド・イー、講談社、サッポロ飲料梶A椛ケ害保険ジャパン、椿山荘、竃F林堂書店

協力:専門学校東京ミュージック&メディアアーツ尚美


お問合せ:「文の京」第九実行委員会 
Tel:03−3814−2813


チケット:電子チケットぴあ 
Tel:0570−02−9990

posted by 「第九」管理人 at 14:57| 東京 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 「文の京」の第九 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「文の京」第九合唱団員募集中!

「文の京」の第九合唱団

練習:9月より毎週月曜日19:15〜21:00  
(第1回練習:9月3日(月)19:15〜 尚美学園バリオホール)

会場:尚美学園スタジオブーカ(文京区本郷1-28-4)、他

合唱指揮:仁階堂 孝

ピアノ:太田由美子

会費:8,000円(楽譜代別途)

参加の条件:文京区在住・在勤・通学で16歳以上の方

参加希望者は、下記お問い合わせ下さい
Tel:03−3814−2813

※定員になり次第〆切
(ソプラノ・アルト各60名、テノール、バス各30名)
ラベル:合唱団員募集
posted by 「第九」管理人 at 11:38| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 「文の京」の第九 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

合唱団と血液型って!?

合唱団と血液型って!?

 皆様、血液型別性格診断って信じますか?このごろ思うのですが、教えているお弟子さんたちとの関係を考えるとき、血液型による相性ってあるように思えてなりません。私自身はO型ですので「おおらか、悪く言えば大雑把」「全体像の見極めが的確、気配りが得意、それがたたって大人物になれない」「人当たりが良い、悪くすると八方美人」「面倒見の良い親分肌、人から頼られる、一歩間違えると他人の世話で大忙し、大きなお世話」「筋を通したい、正義感・責任感についての意識は高い、悪人ではないが面白みにも欠ける」……A型のなりそこないで几帳面になりきれず、B型のように型破りなことも出来ず、AB型のような意外性もない、そんな性格らしいです。そして、A型に手間、面倒をかけ世話をしてもらうという、A型さんにとっての困ったさんで、B型には散々面倒を見てあげたのに振り回されてかわされ、AB型とは「何考えてるかわかんない!」と敬遠し合いながらも惹かれあう、そんな関係…?
さて、そんな「血液型」が、合唱団にもあるって信じますか?何十人もが集まる合唱団ですから一つの血液型に凝縮して判断できるわけない!とお思いでしょうが、いくつかの合唱団に伺ううちに各合唱団をこの4種の血液型に分類できる、と思えるようになりました。

ハートA型合唱団=とても几帳面で運営もきっちりしており、練習中も非常にまじめです。時間通り、ノルマ通りに練習が進むことがモットー。次回への課題も必ずこなして来ます。指導者にとって一番楽な団体です。何と言っても連絡が丁寧で、初めての練習場所に伺うときは地図が送られてきて最寄り駅までお迎えが来る、練習が終わればお見送り、休憩中のお茶、お菓子、お絞りが用意されている…あまり過ぎると鬱陶しいくらい!?大学の学生合唱団母体など、まだ若い合唱団に多く見られます。

スペードB型合唱団=マイペース、指揮者があるポイントについて指導しているのに5・6ページ前の部分について「音程が取れないのでもう一回お願いします。」などと発言する。本番直前までちっとも上達しないで指導者に大いに気を持たせるのに、本番は見事に変身してすごい演奏をする。私たちの心配はなんだったの?となんだかこっちがどっと疲れる。でも芸達者が盛り上げる演奏会後の打ち上げがメチャ楽しい!のでつい許してしまう。ベテランが多く平均年齢が高い合唱団ほどこの傾向が強い?!実は海千山千!

ダイヤO型合唱団=練習は和気藹々、それぞれがそれぞれの役割を果たし物事がそつなく進んで行く。器用に何でもこなし、打たれ強く度胸もある。どんな時もある一定の水準は必ず守る。一番信頼できる合唱団です。指導者もつい安心して色々頼ってしまう。ところが連絡はしっぱなしで確認のフォローは足りず、楽譜のコピーは素早く送ってくるものの斜めに曲がっていたりページが足りなかったり…、とつめが甘いのでご注意!中堅どころのママさんコーラスに多く見受けられるかも?

クラブAB型合唱団=一見何をしたいのか、何のために練習をしているのか掴めない団体です。団員には個々の強い思いもあるのに、団としての顔が今一つ作られていない、音楽もどこを目指すのか不明?しかし一旦何かきっかけを与えられると突然大変身、究極の演奏をすることが間々ある。いわゆるイベント合唱団に見られる傾向ですが、この傾向は老舗の名門合唱団も活動の中で必ず一度は通過するような気がします。

 さて、われら「文の京」第九合唱団はどんな血液型なのでしょう?一種のイベント型合唱団として誕生したこの合唱団も5年目、既存の団のように定着してきた感じがします。そろそろ団の性格も決まってきたかしら?                               
 ところでこの「血液型相性」はあくまでもO型の私にとっての相性、「独断」はあっても「偏見」では決してございませんので悪しからずお許し下さい。                

(ピアニスト太田由美子さんよりの投稿から)
posted by 「第九」管理人 at 20:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ティータイム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月31日

ちらしの制作準備

広報物(チラシ等)の制作準備のこと

演奏会のちらしの作成(上がり)時期は通常4〜5ヶ月前が理想

です。外来演奏家のチラシ等は6ヶ月前より早いこともあります。


これは隔月発行の広報等にも広報が間に合うようにするためや、

少しでも広報期間を長くするためでもあります。


チラシの中にはいろいろな情報が入っていますが、必ずいれなく

てはならない項目として「第九公演」の場合を例にとってみると

次のようなものがあります。


(必ず入れなければならない項目)
公演のタイトル
公演の日時、
公演の開演時間(開場時間)
公演の場所(ホール)
出演者名(指揮者、合唱指揮者、ソリスト、合唱団名
オーケストラ名)
演奏曲目
入場料
入場券販売方法
主催者名
主催者連絡先


(出来るだけ入れたい項目)
公演場所の地図
会場までの行き方の説明
曲目等などの英語・原語の表記(本来外来語であるものの)
出演者の写真
出演者の名前(ローマ字表記、読み方が難しい人は特に。)
出演者のプロフィール
ホームページアドレス
問い合わせメールアドレス
主催者の住所


(必要があれば入れる事項)
共催団体・会社名
協賛団体・会社名
後援団体・会社名
協力団体・会社名


なお、上記の事項を掲載をする上で大切なことは、一つ一つの

事項について必ず間違いがないかどうか(誤字・脱字)また掲

載にあたり許可等が必要になるものについてはクリヤーなって

いるかどうかの確認をすることが必要です。

posted by 「第九」管理人 at 17:11| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月29日

12月に第九が多いのは?

12月に「第九」の演奏会が多いのは日本だけの現象です。 

「第九」の演奏には大編成のオーケストラに加えて大人数の合唱団

が必要であり、そのためか外国では日本のように頻繁には演奏され

ないようです。また第九は祝祭時に演奏されることが多いようです。


日本で、現在のように12月に第九の演奏が多く行われるようになっ

たのは、昭和40年頃からのようです。そのころある音楽事務所が

「第九」の演奏会を12月に行ったところ満員になり。それが何年か

続くと、他の音楽事務所や、オーケストラも、「第九」の演奏会をす

るようになり、それが、みな満員になったことから、どんどん増えて

きたようです。また12月はボーナスシーズンでもあり、財政的の苦

しいオーケストラにとって、いつでも満員になる第九公演はドル箱で

もあるようです。

posted by 「第九」管理人 at 12:47| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月21日

裏方日記はじめ

第九・裏方日記

「第九とっておき情報」なんてたいそうなネーミングになりましたが、
これから頑張って更新していきます。
管理人はいままで数え切れないほどのコンサートやイベントの裏方
さんを仕事にしてきました。このブログでは裏方さんから見た「第九」
の面白さやハプニング、素晴らしさをつづっていきたいと思います。

管理人も裏方だけではなく第九は数多く歌ってきました。ベートー
ベンという偉大な作曲家が残してくれたすばらしい遺産「第九」は歌
うたびに新たな感動を与えてくれます。
ステージで歌うのも楽しいですけど、裏方さんもまた楽しいですよ。
posted by 「第九」管理人 at 15:46| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本における第九の初演

日本における第九の初演

第一次世界大戦後に徳島に収容されたドイツ人俘虜たちは、実に多彩な活動をし、西欧特にドイツの優れた文化や技術を伝え、今日に繋がる実績を残した。特に、音楽面では、楽器や楽譜の製作、調達に苦労しながらも、なんと五つのオーケストラと二つの合唱団を結成した。実績を積み重ね、技量を向上させながら取り組んだ最大のイベントが、日本初演のベートーベンの第九の演奏である。

日本で収容、ドイツ捕虜

 話は、第一次世界大戦にさかのぼる。日英同盟の誼みにより、英国の要請を受けた我が国は参戦、大正三年(1914)太平洋のドイツ領の諸島とともに、ドイツの租借地であった青島(チンタオ、中国山東半島)を攻撃した。敗れたドイツ将兵約五千は捕虜となり、九州から関東に到る各地に収容された。その後、大正六年収容所が再編整備され、四国では鳴門郊外の板東に約千名が集められた。世に言う板東俘虜収容所である。
 ここに、世界史上類例をみない、俘虜たちの創造・文化の活動や地域住民との交流が始まった。(ちなみに、当時の捕虜は収容されると俘虜と呼ばれた。)

ドイツ俘虜の多彩な活動

 俘虜には、民間人も含まれていた。俘虜たちは、実に多彩な活動をし、西欧特にドイツの優れた文化や技術を伝え、今日に繋がる実績を残した。例えば、人々に酪農経営を教え、パン・バター・チーズの製法、園芸栽培法、印刷技術を伝授した。収容所の中に、自らの手で、印刷所・図書館・音楽室など、様々な施設を作り、外では、橋を架けた等々。また演劇、スポーツ、芸術の分野の活動が活発であった。
 特に、音楽面では、楽器や楽譜の製作、調達に苦労しながらも、なんと五つのオーケストラと二つの合唱団を結成した。演奏回数は数多く、時折、市内でも開催された。その一つが、四国八十八箇所一番札所の霊山寺おけるエンゲル楽器団の演奏である。(この写真がよく各種の印刷物に使用されているので、目にした人もおられると思う。)

ついに、本邦初演の第九に到る

 実績を積み重ね、技量を向上させながら取り組んだ最大のイベントが、ベートーベンの第九の演奏である。困ったことに、第九となればソリストと合唱団に女声が必要となる。もとより、俘虜は男ばかりなので、やむを得ず、楽譜の該当部分を男声用を書き換えるなど、幾多の苦労を重ねながら練習したという。ついに、大正七年(1918)六月一日、軍楽長へルマン・ハンゼンの指揮の下、収容所内で全曲演奏された。合唱団は八十名であった。本邦初演の「第九」であり、しかも大正年他に日本で演奏されることはなかった。ベートーベン自身による初演から数え九十四年後の、また、数多くの人が「第九」を歓迎し始める契機となった、ワーグナー指揮の演奏から七十二年後の、壮挙である。そして、本邦初演から64年後の昭和五十七年、この六月一日は鳴門市の「第九の日」となり、第九を縁とする鳴門市や徳島の内外との交流の出発点となった。

鳴門の板東に、ドイツ捕虜の文明が花開いた理由

 では、なぜ、日本各地にあった俘虜収容所の中で、ここだけ、このような異例の活動ができたかという疑問に行き着く。往時のドイツ将兵の水準の高さだけでは説明がつかない。それなら、他の収容所でも似たようなことができたはずである。私は、このほどこの地を訪ねる機会があったので、鳴門市長さん外、何人かの方にこの疑問をぶつけてみた。皆さんのおっしゃることや資料を総合すると、どうやら次の三点にまとめられる。

 第一は、収容所長松江大佐の極めて寛大な俘虜処遇の方針である。会津藩士の子息であった大佐は、明治維新の戦いの中で、敗軍の惨めさを父から聞かされ、人道主義による俘虜の処遇について深く期するところがあったと言われる。この方針により、ドイツ俘虜は比較的自由な生活を送り、また実質外出自由であり、外泊する者もいたようである。収容所の活動や、住民との交流が可能となる素地がここにあった。

 弟二に、この地が四国のお遍路さんを受け入れる一番の札所であったことである。人々は、各地からやってくる遍路の旅人を泊め、もてなすことに慣れ、これを誇りとして来た。そこへ、異国の元将兵がやって来ても、受け入れることに抵抗感は少なかったと言われる。人々は、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、多種多様なことを教わり、親しみをもって交流した。その結果、「ドイツさん」も日本文化を受容し、最近わかったことだが、例えば忠臣蔵をテーマに作曲も行われていた。研究や調査が進めば、もっと多くの事が分かってくるだろう。

 第三に、この地が塩田や染料の藍の生産などで、当時の日本ではかなり豊かな地域であったことが挙げられる。かくして、収容所や俘虜の活動を経済的に下支えしたり、今日の言葉で言えば、スポンサーのような仕事をした地域の人々も結構いたと言われる。文化は、やはり、相応の豊かさが支えとなるものなのだ。

再確認された偉業と我々

 忘れてならないことは、こうした「ドイツさん」たちの事跡も歳月の経過と大きな時間の変遷の中で、その後、あまり取り上げられなくなり、漸く近年に至って、再び注目を浴び、復活再生の流れが出て来たことである。その間、60年余の年月が流れる。歴史が決して一本道でなく、濃淡、紆余曲折を経るものであることがよく分かる。
 我が取手「第九」もこの鳴門を含め、既に内外との交流を手掛け、9年余の間三回の演奏を実施、今やドイツでの親善演奏が大詰めを迎えている。広く想いを巡らせれば、我々の実績や試みも、はなはだ意義深いことが理解できよう。

追記:本文末尾に記されている取手「第九」合唱団のドイツ演奏旅行は、昨年(平成七年:1995年のこと)十月の取手での演奏をベースに、昨年末から今年の年始にかけて、筆者を団長とする百六十名余の団員が訪独して行われた。ドイツ側音楽監督、ウェルナー・シュティーフェル指揮の下、バーデン・バーデンフィルハーモニーやソリストとの演奏は、バーデンバーデンなど二都市で行われ、大成功を収めた。そのとき、ドイツ人の聴衆が総起立となった拍手が、七分間も打ち続くなど、素晴らしい感動体験を双方が、共有した。
 ともに、敗戦国である日独両国民が戦後五十年の昨年に、平和と友愛を歓喜の曲で歌い上げたのは、意義深いことと言える。
 筆者は当時、取手「第九」親睦会会長の任にあり、現在もその役員をしている。
(by 元国土庁審議官:仲津真治


日本人による初演(1925年11月29日)

 日本人による「第九」の初演は、1925年11月29日と30日の両日に行われました。東京音楽学校(後の東京芸術大学)第48回演奏会でのことです。演奏をしたのは、講師生徒あわせて200余名。指揮をしたのはドイツ人のグスターフ・クローン。もともとヴァイオリニストで、ニキシュやリヒャルト・シュトラウスの指揮するベルリン・フィルと全世界を回った経歴の持ち主です。

 演奏会は大盛会で、開演の数時間前には入場希望者の列が音楽学校の門を溢れ、となりの美術学校の前まで続いていたといいますし、奏楽堂の中では、溢れた聴衆が両側の通路まで満たしていたといいます。好評につき、同年の12月6日には、早々と再演が行われています。

 その次に「第九」が演奏されたのは、ベートーヴェンの没後100年にあたる、1927年のことでした。これがプロのオーケストラによる「第九」の本邦初演になります。オーケストラは、現在のNHK交響楽団の前身にあたる、新交響楽団。指揮はヨーゼフ・ケーニヒ、独唱者は松平里子、斎藤英子、木下保、内田栄一、合唱は日本音楽学校です。この演奏会は、4月28日から5月3日にかけて、4回行われました。

 その後、日本における「第九」の演奏は、新交響楽団の独壇場となります。1928年から1935年までに、近衛秀麿の指揮で11回(1928年12月18日および19日に「第九」が演奏されています。12月における本邦初の「第九」の演奏であるとともに、日本人の指揮者による初めての「第九」です)、1936年には貴志康一の指揮で2回、1937年から1941年までにジョセフ・ローゼンストックの指揮で10回。1942年には日本交響楽団と改称した同オケを山田和男(後の山田一雄)が指揮して、12月26日と27日の両日に演奏会を開いています。

第二次大戦後の演奏と”年末の第九”(1948年以後)

 新響(N響)以外のプロのオーケストラが「第九」を取り上げるようになるのは第二次大戦後のことでした。1948年には近衛秀麿の指揮で東宝交響楽団(東京交響楽団の前身)が、また、朝比奈隆の指揮で関西交響楽団が「第九」を取り上げています。
(ついでながら宣伝いたしますに、朝比奈隆先生も京都大学音楽部交響楽団のご出身です。先に触れましたメッテル先生の薫陶を受け、一旦阪急電鉄に入社後、音楽の世界に戻ってきたという変わった経歴の持ち主です。)

 12月に「第九」を演奏する、いわゆる”年末の第九”が恒例化したのは、1947年、レオニード・クロイツァー指揮の日本交響楽団が12月9日、10日、および13日に演奏して以来のことです。その後、日本交響楽団および後身のNHK交響楽団では毎年のように12月に「第九」を演奏しています。
この習慣が生まれた原因は、「第九」をやるとお客さんが入る → 従って、おカネになるということのようです。

 アマチュアの合唱団が「第九」を盛んに歌うようになってきたのは1960年代以降のことです。このころから日本のアマチュア合唱団の実力は「第九」という難曲を歌えるほどに向上してきたのです。合唱団の人たちも年に一度はこの難曲に挑戦してみたいと思うようになってきました。
そして、1983年の年末に、大阪に1万人以上の合唱による「第九」が出現しました。また、「すみだ第九を歌う会」は、1985年2月22日に、ハイデルベルク大学の創立600年記念祭に招かれ、ハイデルベルク交響楽団とドイツ・バッハ協会合唱団とともに、石丸寛の指揮で「第九」を演奏しています。
この時に参加したのは185名ですが、最高齢は85歳の男性で、さらに、芸者衆が3人混ざっていて、現地の人たちの関心を得たと言うことです。

 我が国で年末に「第九」を歌う人口は、20万人を越えると言います。これは世界でも異例のことで、外国の指揮者が来日して、この事実を知ると、必ず驚きます。わが関西シティフィルハーモニー交響楽団のマエストロ(常任指揮者)、ズラタン・スルジッチ氏も例外ではありません。ヨーロッパでは「第九」は音楽祭の締めくくりなどで演奏されることが多いようです。また、ドイツの多くの都市で年末に締めくくりに「第九」を演奏する習慣はあるようですが、日本のように何度も演奏することはないようです。

国内の「第九」といえば年末恒例のものがあまりにも有名です。年末の「第九」のことの起こりは、昭和18年、東京音楽学校(東京芸術大学音楽部)の奏楽堂で行われた出陣学徒壮行の音楽会といわれています。

 太平洋戦争の状況が悪化する中、法文系学生で満20歳に達した者へも徴兵令がくだったのです。彼らは入営期限を間近に控えた12月の初旬、繰り上げ卒業式の音楽会で「第九」の4楽章を演奏したといわれています。やがて太平洋戦争も終わり、出征した者のうち多くが戦死し、生きて帰ってきた者達で奏楽堂の別れに際に演奏した「第九」を再び、ということになりました。つまり「暮れの第九」の出発は戦場に散った若き音楽学徒への鎮魂歌(レクイエム)だったのです。

 その後日本経済の復興とともにオーケストラ団員の越年資金を得るために商売としてかたい第九が演奏されるようになり、しだいにそれが定着していったと思われます。

 さて、「鳴門の第九」はといえば周知のとおり、鳴門市の板東俘虜収容所で演奏された捕虜達による演奏会が、本邦初演の「第九」シンフォニーというのが定説となっています。そこから我が鳴門市では演奏された6月1日を第九の日と定め、6月の第一日曜日に演奏会を開催しているのです。

 では、なぜ当時他の収容所にくらべ板東収容所だけで、ドイツ兵捕虜と地域住民をまき込んだ極めてまれな交流が始まったのでしょうか。

 当時の収容所所長松江大佐は、明治維新の敗軍会津の出身でした。彼の口癖は「武士の情け」であったといいます。敗者や弱者への人並みなずれた人道的共感が、捕虜達への接し方にも表れていました。単に哀れみや同情ではなく「祖国のために堂々と精一杯戦った」勇士への礼節をつくし、自らの信念を貫いたといえます。温和で包容力に富んだ人柄だったと、彼を知る人は口を揃えて賞賛しています。捕虜を人間として信頼し、心服させた管理方針は今日から見ても、民主的かつ人道的と評価されています。

 また地元民には「ドイツさん、ドイツさん」といって、家族のように親しむ風潮が広がっていたといいます。幸い、この板東は四国霊場の一番札所でもありました。古くから接待や善根宿の風習は、人々の気持ちに知らず知らずのうちに思いやりが生き続け、異国の兵士達を受け入れることに抵抗感は少なかったと思われます。また松江所長の方針を素直に吸い取れる土壌でもあったようです。

 これらの事からわかるようにベートーヴェンがシラーの詩を借りて、人間愛を描きたかったように、「鳴門の第九」はバンドーが生んだ固有の財産であり、地球上から戦火が絶えることのない今、国境を越えて、世界へ発信する『平和へのシンフォニー』でもあるのです。
(By 関西シティフィルハーモニー交響楽団

posted by 「第九」管理人 at 15:32| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ティータイム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

合唱練習の基本

合唱練習の基本
合唱練習の基本は・・・

個人の練習
自分のパートの音は完全に正しく覚えましょう。音の上り下がり、音符の長さ、休符の間の取り方、リズム、テンポすべてが音楽の基本です。

アンサンブルの練習
自分のパートを完全にマスターしたら、次はコーラスのハーモニー、アンサンブルを覚えましょう。自分が歌っている時、歌わない時の他の3パートの音の動きを良く聞き、ハーモニーが美しく出来ているか、全体のバランスはどうか等に気をつけることが合唱の基本です。

暗譜の練習
一通り音取りが出来、歌詞を覚えたと自分で判断したら、次は暗譜の練習です。楽譜を意識して離し、指揮を良く見ながらこれに合わせて、次の音と歌詞は口をついて出てくるようになるまで練習します。暗譜は音楽創りの基本です。

曲想創りの練習
強弱記号(P、f)などの記号が沢山出てきます。これらは曲想をつくる上で大事な記号です。指揮者の曲創りの考えを理解し、一つの音楽を皆で創りあげるのがコーラスの醍醐味です。

何回も何回も繰り返し練習することが、上達の王道です。上達には練習しかありません。



るんるん楽譜に命を注ぎ込もう! 〜書き込みの薦め〜

「楽譜」に書き込みをして、自分だけのオリジナル楽譜を作ることは、上達への早道です。『楽譜書き込みの極意』を伝授しましょう!

指導者の指示はどんどん書き込もう
 練習中に指導者はどんどん音楽的な指示を与えます。それをとにかく楽譜に書き込むのです。ここで重要なのは自分の言葉で構わないということです。オリジナルの記号を作ってもいいのです。例えば、「ここでピッチが下がる!」という指示があったら、「↑」という記号を書いておくとか。自分で工夫してみるといいでしょう。第九の経験が増すにつれて、昔の書き込みを見直すのも、感慨深いものです。「ああ、あの時はこんなことを考えて歌っていたのだなあ。」などといろいろ思い出すことができ、楽しいものです。

蛍光ペンや色鉛筆を活用しよう。
 合唱の場合、普段全パートの楽譜が全て書き込まれている「総譜(スコア)」を使います。
(オーケストラの奏者が、自分のパートだけが書かれている、「パート譜」を使って演奏しているのはご存知ですよね。)「第九」の場合オーケストラパートも含めて、基本的に6段の総譜で書いてあります。そうすると自分のパートの出る箇所がわかりにくいものです。そこで、蛍光ペンなどを使って、自分の出るフレーズの頭に色を着けておくのです。そうすると楽譜にかじりつかなくても、自分の出るタイミングがわかるようになるものです。「ドッペル・フーガ」の箇所などは、二つのフーガを色分けしてみるのも、音楽の構造を理解するうえでも有効ですよ。

言葉の意味を書き込もう。
 カワイ版の楽譜には、各パートの下には、ドイツ語の言葉が書かれています。もちろん皆さんは、その言葉が読めるようになっているのですが、一つ一つの言葉の意味まで含めて理解できているでしょうか?そこで訳を、自分のパートの下に書き込んでみるのです。そうすると不思議なもので、今まで歌っていたドイツ語の歌詞に、より説得力が出てくるのです。すると、自ずから歌に自信が出てくるのですね。



るんるん演奏に説得力を持たせよう! 〜暗譜の薦め〜

主に初めて第九をお歌いになる方向けの『暗譜の極意』です。

一度思い切って譜面を閉じて歌ってみよう。

楽譜を見ないで歌うことは、初めての方にとっては、少し怖いことなのかもしれません。でも、本番では暗譜で歌わねばならないのです。一度思い切って楽譜を閉じて歌ってみましょう!
思い出してみてください。初めて自転車に乗れたときのことを。補助輪を外して乗るのが本当に怖かったものです。でも、補助輪を外しても、始めは怖いけれど、意外に楽に自転車に乗れるようになったものです。
同じように、暗譜で歌ってみましょう。意外にも歌える箇所はたくさんあるものです。だって、これまでに何度も繰り返し練習して、もう身体で憶えてしまっているんですから。そうやって暗譜でやってみる中で、自分の弱い箇所を見つけていけばいいのです。

                                    
オーケストラの音楽も憶えてしまおう。

暗譜が怖い理由の一つに、自分がいつ入ったらいいのかわからなくて、ドキドキしてしまうから、ということが挙げられます。確かに、「あと4小節、3小節」と数えて待つのは恐怖感がつきまとうものです。
そういう方は、オーケストラの音楽ごと暗譜してしまいましょう。つまり、「自分が入るのを待っている。」という感覚でなく、「オーケストラと共に演奏している。」という感覚に切り替えるのです。特に自分の入ってくる前8小節は完全に一緒に音楽しましょう。そうすることで、「入りの暗譜」も自然にできてしまうというわけです。
posted by 「第九」管理人 at 15:30| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 合唱練習の基本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌詞(ごろあわせ編)

朝日新聞に掲載され有名になった第九の歌詞のごろあわせ。これは「国技館5,000人の第九コンサート」のために作られたというが、訳者は不明。合唱のための音訳なのでソロのパートは訳されていないヨウです。また、男性合唱の部分が無いのは、女声合唱のために作られたため?


フロイデ シエーネル ゲッテル フンケン
風呂出て 詩へ寝る  月輝る  紛健

トホテル アウスエ リージ ウム
とホテル 会う末  理事  生む

ヴィルベ ト レーテン フオイケル トゥルンケン
ビルべ  と 0点   夫追い得る 取るん健

ヒンムリッシュ ハイリヒトウム
貧無理死へ   入り人産む


ダイネ ツアウベル ビンデン ヴィーデル
台寝  津会うベル ビン出ん 微出る

ヴァスディ モウデ シュトウレン ゲタイルト
バス出い  詣で  酒取れん   下駄いると

アーレー メンシェン ヴェルデン ブリュウーデル 
ああ冷  麺支援   ベル出ん  鰤うでる    

ヴォーダイン ザンフテル
暴大ん    残ふてる 


ヤー ヴェル アオホ ヌル アイネ ズイーレー
矢  ベル  青穂  塗る 合い寝 図入れ

ザイン ネント アウフ デム エル デンルント
座居ん 寝んと 合う夫 出夢 得る 出んルンと

ウント ヴェルス ニー ゲコント デル シュティーレ
運飛  べ留守  兄  下来んと 出る 酒手入れ

ヴェイネント ズィッヒ アウス ディーゼン ブント
倍寝んと   実費   合う酢 出い膳   文と

キュッセ ガップ ズイー ウンス ウント リーベン
久瀬   合符  字   運す  運と  利便

アイネン フロイント ゲプリューフト イーム トート
愛念   風呂入んと 月賦流太    い武  藤飛

ヴォー ルストバルト デム ブルム ゲ ギーベン
ぼう  留守泊ると  出む ブル無 下 技便

ウントデル ケールプ シュテイート フオル ゴット
うんと出る 毛得るぷ 首手いと   歩折る 碁っと


第九の歌詞と音楽をさらに詳しく解説
posted by 「第九」管理人 at 15:26| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 第九の歌詞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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